紀行「追憶のガンダーラ」
文 :長田展季
写真:大林義典
 この作品は、きかんし協会の「きかんし」(2010.10.15発行〜2013.2.20発行)に掲載した「長田展季さんのフリーエッセイ」(原文のまま)と、前衛書家・大林義典さんが2012年春、娘婿さんの生まれ故郷「インド」を訪問したときのスナップ写真で構成しています。
 タイトルは、編集部でつけましたし、文と写真も関係ありません。共通しているのは、「インドを題材にしている点」だけです。
 このような点にご留意いただき、しばし、インド旅行をお楽しみください。実際にインドを旅行したい方、ご連絡ください。良心的な「ツーリスト」を紹介します。
                          (「きかんし」編集部)

第1回 あいさつ                     2010.10.15

 はじめまして、もしくはいつもお世話になっております。日本機関紙協会兵庫県本部で今年の6月から働いています、事務局員の長田展季(ながたひろき)と申します。
 今月号より、4年前(2006年9月〜2007年2月)に僕がインドを旅してきた話を書くことになりました。よろしくお願いします。
 「インドには、呼ばれる人と呼ばれない人がいる」と言った人がいます。幸か不幸か、僕は22歳でインドに呼ばれました。僕にはインドを旅する理由や目的がなかったので、確かに「インドに呼ばれた」から行っただけなのかも知れません。
 人生で初めての海外でした。しかも、1人でした。そんな無謀ともいえる旅は、いまだに全てを消化できていないくらい濃厚だったので、ここにどれだけのことが書けるか分かりませんが、インドに行ったような気持ちになってもらえるように頑張ります。どうぞお楽しみに!

インド全図
インド全図
第2回 いざ、インドへ                  2010.11.15

 2006年9月13日、関空からインドの首都ニューデリーへ出発。機内はすでにスパイスの香りが漂い、周りは外国人ばかり。約9時間のフライトはすぐに終わり、深夜に空港へ到着した。
 空港の外へ出ようとすると、異様な雰囲気のタクシー運転手が大勢で待ち構えている。そういえば『夜に空港から市街地へ出ると危険が多い』とガイドブックに書いてあった。仕方ないので、空港内のベンチで朝が来るのを待つことにした。
 早朝、先程の方々がウトウトしている横を素通りし、何事もなくニューデリー駅行のバスに乗ることができた。駅が近づくにつれ、道路には物凄い数の人と車が行き交い、たまに牛も歩いている。駅前でバスから降りると、怪しいホテルや旅行会社への勧誘に囲まれた。それらから必死で逃れ、やっとのことで安宿を見つけて、いつの間にか眠っていた。
 目を覚ますと夕方。今まで見たこともない真っ赤な色の夕焼けが町を染め、路地では祭りのような喧騒が続いている。その時になってようやく、僕はインドにいるのだという気持ちになった。

ヴァラナシ
ヴァラナシ
第3回 洗礼を受ける                   2010.12.15

 今回は僕が洗礼を受けた話をします。といっても宗教の話ではなく、お腹を壊した話なので、お食事中等の方は別の時間に読んで頂けたらと思います。
 インドに渡った次の日には、僕は北へ向かって移動していた。ニューデリーから列車で北上し、終点のシムラーという町に到着する頃に気分が悪くなってきた。乗り物酔いかと思ったが、次第に体が震えるくらいの悪寒も感じ始めた。ふらふらになりながらも宿を見つけ、ベッドに倒れ込んだ。いや、正確には、倒れ込む前にベッドにムカデが入っていくのを目撃したのだが、どうこうする気力がなかったので、そのまま眠るしかなかった。
 トイレで寝てしまおうかと思ったほど、ひどい下痢で夜中に何度も目が覚める。熱も上がっているみたいだ。持って来た服を全部着込み、寝袋と布団をかぶってもまだ寒い。
 発熱と寒気と吐気と下痢とが一度にやってきて、頼れる人もなく、心底不安になってしまい、強烈な孤独感を味わった。日本という国で、ぬくぬくと甘えて生きてきた僕にとって、インドからの手荒い洗礼だった。

ペシャリ
ペシャリ
第4回 忘れられない味                  2011. 1.20

 発熱・寒気・吐気・下痢に悩まされた夜が明けた。前日から水しか口にしていなかったので、栄養を取らなければと思い、宿の近くの売店でマンゴージュースを購入した。ヘロヘロになった体に、これ以上ふさわしいものは他にないくらい、美味しかった。誇張ではなく、一生忘れられない味だと思う。
 夜になり、下痢以外は幾分落ち着いたので、外を歩いてみた。山の斜面に家が建ち並び、窓の明かりが柔らかく、絵本に出てきそうな景色。星空も驚くほど綺麗に見える。そんな美しいこの街に罪はないが、留まっているのが嫌で、翌日にはさらに北にあるマナリーという街へと向かった。
 僕の人生はここで終わりだと何度も思ったバスの荒い運転と下痢のせいで、車中の数時間は冷や冷やし続けた。途中、隣の席に居たおばあちゃんが鞄の中からリンゴを取り出し、ニコニコしながら僕にくれた。
 心身ともに弱っていた僕は、その優しさに不意を突かれてしまい、不覚にも泣いてしまった。リンゴは若くて少し酸っぱかったけど、誇張ではなく、一生忘れられない味だと思う。

ジャイプール
ジャイプール
第5回 正露丸は助けてくれなかった            2011. 2.20

 マナリーに到着し、安宿を確保。シャワーを浴びようと服を脱いだ時、珍しく部屋に鏡があり、そこに映った自分を見て驚いた。あれは誰だろう。頬はこけ、まぶたは窪んで、下腹が骨盤よりも凹んでいる。ここ数日続いている下痢と、ろくな物を食べていないせいで、すっかり変わり果てた姿になっているではないか。
 何かしっかりとした物を食べないと、このままではまずい。外へ出ると、道端の屋台で焼きそばのようなものが売られていた。「チョウミン」というネパール料理のようだ。なかなかの辛さだったが、カレーではないので、久しぶりに日本食を食べたような気分になった。
 すると、僕の名前を呼びながら、笑顔のインド人が近づいてくる。以前、列車で隣の席になった人だ。この広いインドで、まさか再会するとは思っていなかった。今の僕の状況を伝えると、彼は怪しげな緑色の錠剤をくれた。下痢止め薬らしい。もちろんためらいはあったが、僕はその薬を飲んだ。異国で人を信じることが、こんなに難しいことだとは思わなかった。
 翌日、下痢は見事におさまった。感謝の気持ちを伝えられないまま、彼にはそれ以来会っていない。

ヴァラナシ
ヴァラナシ
第6回 自分ができることをします             2011. 3.20

 東日本大震災により、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申上げます。また、被災された方の生活が少しでも良くなっていくことを願っています。
 思い出したことがある。僕はインド最南端のカンニャクマリという町にいた。ぼんやり海を見ていると、物売りのおばさんが寄ってきて、急に身の上話を始めた。「ツナミで家が流された。ツナミに家族を奪われた。ツナミのせいで私は独りだ。」正直なところ、話を信じることはできなかった。同情を引いて、物を買わせる手口にはうんざりしていた。僕は何も買わなかった。
 翌日、おばさんは同じように外国人に話しかけていた。側では地元の警官が、おばさんの方を見て笑っている。「あいつまたやってるよ」といった様子だった。何かとてつもなく嫌な感じがした。でもそれは、警官がおばさんを馬鹿にしていたからだろうか。おばさんを信じていないのは、他ならぬ僕ではないか。僕は苦しくなって、逃げるようにその場を立ち去った。おばさんが真実を話していたのかどうかなんて知らない。ただ、何もしなかったという後悔だけが残っている。
 現在、震災に対して、僕はこの頃と同じ傍観者でしかない。しかし、何もしないのはもうたくさんだ。

ブッタガヤ
ブッタガヤ
第7回 1週間が経ちました                2011. 4.20

 空港で両替したインドルピー(その頃のレートで、1ルピー=約2・5円)がなくなってきたので、銀行へ行く。肌寒く、吐く息が白い。70ドルを両替すると、向こうに小銭がない様子。この1週間、インド人が自ら1ルピーもまけてくれたことはないが、2ルピーも余分にくれた。ちなみにこの先、2度とこんなことは起こらなかった。
 翌日、ガイドブックに載っている寺に、温泉があるそうなので行ってみる。清潔さとはかけ離れているが、プールのような温泉があった。インドでお湯に浸かれるのも、これっきりになるだろうと思い、しばし疲れを癒した。
 次の日、この町に長居する必要もないので、ダライラマ14世の住むダラムサラへ出発。夜行バスなら宿代も節約できると思い、乗り込んだが悲惨だった。眠れるなんてものじゃない悪路、乗り合わせた人々のお祭り騒ぎ、(夜行バスなのに立っている!)インド人に足を踏まれる。
 ひっそり静まったバスターミナルに暗い内に降ろされる。街中まで行くバスがいつ来るのか分からなかったが、サンダル履きには辛い寒さに震えながら、ベンチでしばらく眠った。時刻表がなくても、バスはいつの間にかやって来た。インドの時間の流れに少しだけ慣れてきたみたいだ。

ナランダ
ナランダ
第8回 平穏な映画が続く                 2011. 5.20

 ここ、ダラムサラはチベット亡命政府がある町なので、インド人よりもチベット人が多く住んでいるように感じた。インドに少し疲れてきた僕にとっては、数日間を落ち着いて過せた場所だった。
 そんな町で、テンティンというチベット人と仲良くなった。道端で衣料品を売っている彼の隣に座り、お互いのことを話した。彼はここから見える、単調で飽き飽きするような路地の光景を「これは僕の映画なんだ」と言った。僕はその言葉が好きで、今でも時々思い出す。
 テンティンと一緒に居る時、日本人が歩いてきたので話しかけたら「日本語うまいですね」と言われた。どうやらチベット人と間違えられたようだ。なぜか心地良かったので、そのままチベット人のふりをしておいた。
 この町には、大きなチベット寺院があり、そこから見える夕焼けを毎日楽しみにしていた。そこにはいつも同じ場所で、夕陽を眺めているおばあちゃんが居た。太陽が沈んで暗くなる前に孫が迎えに来て、いつも一緒に帰っていった。
 日本に居る時は嫌いだった、毎日同じような事が繰り返されるということを、とても愛しく思えた。

ブッタガヤ タイ寺院
ブッタガヤ タイ寺院
第9回 パキスタンに一番近づいた日            2011. 6.20

 数日を過ごしたダラムサラを離れ、パキスタンとの国境に近い町、アムリトサルへ。この町には、黄金寺院というシク教の総本山があり、巡礼者や観光客であふれかえっていた。
 黄金寺院の見学は人も多かったので早々に引き上げ、近所の公園を散歩した。すると、突然インド人のおばさま方に取り囲まれ、盛大な記念撮影大会になった。僕がまるで日本における韓流スターであるかのような騒ぎようで、非常に困惑したが、スター気分は悪くなかった。おばさま方のパワーに圧倒されたのと、列車の切符を買うのに1時間ほどかかったのとで、この日も疲れてすぐに眠った。
 翌朝、見事に寝坊してしまい、初めてサイクルリキシャ(自転車のタクシー)に乗って、駅まで向かった。明け方の町は昼間の喧騒が嘘のようにとても静かで、のんびりとした自転車の速度が心地良く、急いていた気持ちがどうでもよくなった。
 駅は予想以上に広かったので、不安になり、駅員さんにどのホームに列車が来るのか教えてもらった。しばらくすると、僕が乗るはずの列車が遠くのホームから出発している。インドでは駅員ですら、安易に信じてはならないということを学んだ。

人力車
人力車
第10回 普通とか当然とか                 2011. 7.20

 乗車するはずの列車は去ってしまったが、次発の同じような列車に乗ることができた。しかしながら、席はなかったので床に座って(インドでは普通です。網棚で寝ている人もいます)いると、車両が大人数の御一行様に占領され、彼らの貸切状態になった。
 普通なら邪魔者であろう他人の僕に対して、お昼時にはチャパティー(ナンを素朴にした感じの食べ物。普通インドではこちらを食べます。僕もインドでナンを食べたことはありません)を分けてくれたり、高校生数人がずっと話しかけてきて、彼らの恋の相談までされたり、僕が下車する際には、皆さんで大手を振って盛大に見送ってくれたりした。その後、乗り継いだ列車の中でも、前に座った家族連れが、食べていたお菓子をニコニコしながら分けてくれた。
「見ず知らずの外国人に、どうしてこんなに優しくしてくれるのか」と尋ねたら「インドに来てくれたゲストを歓迎するのは当然のことだ」と返答された。日本がまた遠くなった気がした。
 暗くなる頃に、ようやくリシケシという町に到着した。この時はこの町に1ヵ月も滞在することになるとは、夢にも思っていなかった。

大林さんのインド旅行2012春
第11回 旅の中の再会                   2011. 8.20

 Mさんとは、インドへ向かう機内で知り合った。なぜか僕のことをインド旅行の達人と勘違いして、彼女の方から声をかけてきた。実際のところ、僕は初海外、彼女は世界一周の経験がある程の旅の達人だった。最初の1日を一緒に行動する中で、彼女は旅において注意するべき点をたくさん教えてくれたし、旅で起こった面白い出来事をいっぱい話してくれた。僕には姉がいないが、面倒見の良い、優しい姉ができたような気分になった。
 お互いにこれから広いインドを旅するので、もう2度と会うことはないだろうと思い、さよなら(こんな言葉が自然と出てきたことに驚いた)と言って別れたのだが、メールアドレスは交換していたので、たまに連絡はしていた(インドにはネットカフェがたくさんあります)。そして、彼女がここリシケシでヨガの修行していると聞き、本気で「さよなら」と言った割にはあっさりと会いにきたのだった。
 彼女は会うなり「だいぶ痩せたね」と言った。僕も色々あったんです。昼食を食べながら、この数日間のことを話した。そういえば、日本語で会話すること自体が久しぶりだ。1日しか一緒にいなかった人と、たった数日ぶりに会っただけなのに、何年かぶりに旧友と再会したかのような感覚だった。
 そして次の日から、Mさんに誘われるまま、僕もヨガを習うことになる。

大林さんのインド旅行2012春
第12回 ヨガと悠久の時間                 2011. 9.15

 ヨガをするため、Mさんの通っている教室へ連れていってもらう。僕たちの他にも外国人が数人集まり、2時間弱のレッスンが始まった。先生はもちろんインド人。先生の話す英語はあまり理解できないが、見本を示してくれるのと、元々僕は柔軟運動が得意なのとで、難なくこなせた。
 特にシルシ・アサナ(ヘッドスタンディング。三点倒立みたいなポーズ)は、難しくて出来ないとMさんは言っていたが、あっさり出来てしまった。先輩である彼女は不服そうだったが、先生は「彼はできると思っているから、できるのだ」と言って笑っていた。こういう精神論をインド人はよく口にする。
 数日が過ぎ、僕はシリ・ベド・ニケタンというアシュラム(寺とか道場という意味)に移動した。ここなら宿代も安い(1泊200円くらい)し、大部屋で朝夕2回、ヨガを習うこともできたからだ。そうやってヨガをしばらく続けていたら、Mさんの他にHさんとAさんという日本人と知り合いになった。僕らはそれぞれ別の教室に通っていたのだが、携帯電話なんかなくても自然と集まることができ、インドの悠久の時間を一緒に過ごした。日本の秋のような気候が続き、心身ともに充実した毎日だった。
 気がつくと、この町に来て2週間が経ち、インドに来て1ヶ月が過ぎようとしていた。

ヴァラナシ
ヴァラナシ
第13回 Diwaliの雨                    2011.10.15

 ディワリとは毎年10月下旬から11月上旬に行われる、ヒンドゥー教の古い暦での新年のお祝いのこと(らしい)。詳しいことはよく分からないが、別名『光の祭り』と呼ばれ、あたりかまわず花火が打ち上げられたり、花火の打ち合いになったりする。
 僕が滞在していたリシケシは、普段は静かでのんびりとした街なのだが、ディワリ前の数日は、夜道を歩いているといきなり暗闇から爆竹が飛んできたりして、かなり騒々しかった。
 驚いたのは、ディワリの翌日は雨が降るということ。インド人曰く、インド全土で花火をするので、その煙が雲になって雨が降るのだそうだ。本当に次の日に雨が降ったので、今のところ信じることにしている。
 雨がやむのを待ってから買い物にでかけると、サドゥー(修行僧)が道端で死んでいた。インドで人が死んでいるのを見るのは初めてだった。インドを旅行した人が、死体を見て衝撃を受けたなどと言うことをよく聞くが、僕は残念ながら何とも思わなかった。人が道の傍らで死んでいるという異常なはずの光景が、あまりにも自然な景色に見えたのだ。
雨が降ったせいか、夜には吐く息が白くなるほど気温が下がり、星も普段より綺麗に見えた。こういう所は日本の秋と似ている。瞬く間に日々は過ぎ、2006年の10月も終わろうとしていた。

南インド
南インド
第14回 11月8日、晴れ                  2011.11.15

 11月が始まった。このままこの町でヨガを続けていくことに大きな不満はないのだが、インドをぐるっと1周したいので、そろそろ出発しようと思い立った。
 さっぱりとしてから旅立ちたかったので、石鹸を使って体を洗う。今まで黙っていましたが、インドに来てからの約2ヵ月間、手を洗う時以外は石鹸を全く使っていません。日本では出来そうにないことを何かしらしてやろうと思い、始めたのが、何日間石鹸を使わずに生活できるかという意味のない挑戦だった。正確にいうと56日ぶりに、石鹸を使って体を洗ったら、インフルエンザにかかって何日間も寝込んだ後、久しぶりにお風呂に入った時の3倍は気持ち良かった。
 もう何も思い残すことはない。1ヵ月滞在したリシケシともお別れだ。同時にMさんたちともここでお別れ。今度は「またどこかで会いましょう」と言って別れたが、それ以来一度も会っていないし、いつの間にかメールも届かなくなってしまった。お互いに死んでいなければ、きっとまたどこかで会えると信じている。
 ハリドワール行のバスに乗り、そこで約1日を過ごす列車に乗り換える。周りは家族連れのようなので、安心して眠る。
 隣の席の子どもにイタズラをされて目覚める。窓の外は、砂漠のような風景。旅に戻ってきた。

ブッタガヤ
ブッタガヤ
第15回 地図にない町                   2011.12.15

 リシケシでの秋のような快適さが嘘のように、日中は列車の中でも真夏以上の暑さになった。予定より1時間くらい遅れて、ジョドプールという町に到着した。移動中は大した物を食べられなかったので、駅近くの食堂で夕食を済ませ、適当に安い宿を決めた。
 この町は、旧市街の家屋の壁が青く塗られている事から、通称ブルーシティーと呼ばれている。翌日、青い家の壁を一望できる所を探して散歩した。丘の上から眺めてみたが、確かに青い壁が並んではいるが、感動できるほどのものではなかった。
 そこから、ガイドブックの地図に載っていない所まで足を伸ばしてみる。すると、急に町の雰囲気が変った。すれ違う人々が、明らかに外国人を見慣れていない様子なので、とても新鮮。昼休み中の子どもたちにも出会ったが、擦れていない態度で接してくるので、気持ちが穏やかになってくる。
 おばあちゃんが手を合わせながら、僕に何か言っている。困った顔をしていると、近くにいたおっさんが「あなたの旅の無事を祈ります」と訳してくれた。「サンキュー」とは言いたくなくて、手を合わせ「ダンニャワード」と片言で言った。
 太陽が沈む頃、先程の丘からもう一度町を眺めた。鳥肌が立つくらい、青色が深まって見えた。太陽のいたずらか、僕の気まぐれさのせいか。

タージマハール
タージマハール
第16回 ラクダに罪はない                 2012. 1.20

 今、僕は吐き気を堪えながらラクダに乗っている。周囲には荒野が広がり、前方には別のラクダに乗ったナタリーと、インド人ガイドが歩いている。
 時間を巻き戻そう。僕は旅で出会った人に勧められたキャメルサファリをする為に、ジョドプールから約300km西のジャイサルメールという町に来た。早速、宿で2泊3日のツアーを申し込んだ。
 当日集合してみると、ガイド役のインド人と、カナダ人のナタリーという女の子と、僕だけのツアーだった。何の説明もなく、ラクダに乗らされ、ただひたすら歩く。たまに食事休憩はあるものの、ただの荒野を歩き続けるだけ。ガイドが自信あり気に「着いたぞ」と言う。そこには、鳥取砂丘の10分の1くらいの砂丘があった。
 2日目の夜、吐き気におそわれた。満天の美しい星空の下、少し離れた所でナタリーも同じようにうずくまっていた。ガイドの作った食事にあたったのだろう。シェフはすやすやと眠っていた。
 悪夢のような3日間が終わり、元居た宿に戻ると予約しておいた部屋はなく
「泊りたいなら屋上で寝ろ」と言われた。さすがに僕も逆上し、散々暴言を吐いて出ていった。
 ここを勧めてくれた人に、悪気があった訳ではない。僕とこの街の出会うタイミングが、たまたま悪かっただけのことなのだ。

ジャイプール
ジャイプール
第17回 風景・光景・景色                 2012. 2.20

 ジャイサルメールから逃げるようにして、南東へ約500km離れたウダイプルという町に行く。この町は、映画「007/オクトパシー」の撮影場所として有名らしい。そのおかげで町の見所もいくつかあったが、特に興味は湧かなかったので、うろうろと街中を散歩するだけの数日を過ごした。気持ちに余裕が出てきたので、わざと道に迷うようにして、路地裏とかでしか見られない、普通の人々の暮らしを眺めていた。
 この旅の全体にも言えることだが、「これを見ろ」というような風景の記憶は、年月が経つにつれ、どんどん薄れていく。逆に、家の前におじいちゃんがぼーっと座っているだけの、日常の何気ない一場面の方が、心には妙に残っていたりする。また、そういう景色が、悔しいくらい絵になるのがインドだった。
 この町では、なぜか子どもと接することが多かった。観光地のせいで外国人慣れをしているのか、貧しい様子でもないのに「5ルピー」と言って、手を差し出してくる。ここで簡単にお金をあげる奴がいるから困るのだ。僕は「ディス・イズ・5ルピー」と言いながら、指で突付いて追いかけ回した。すると、きゃあきゃあと笑って喜んでくれる、可愛らしい子ばかりだった。若い東洋人が、インドの子どもたちと遊んでいる光景は、人々の目にどんな風に映っていたのだろうか。

大林さんのインド旅行2012春
第18回 通りすがり                    2012. 3.20

 ウダイプルを19時45分発の列車に乗り、南西に約250km進んだ、終点アフマダーバードへ翌日早朝に到着。乗り換え列車の切符を買うため、窓口が開く午前9時まで、ひたすら待つ。無事に購入はできたが、21時発の列車しかなく、これからの12時間を得体の知れないこの町で過ごさねばならなくなった。
 重い荷物を背負ったまま、街を歩く。普段ならこの時点で、宿の客引きに群がられるところなのだが、そんな気配は全くない。それどころか、話しかけてくるインド人すらいない。なんて平和な街なのだ。
 お腹が減ったので、(その頃の感覚で)小汚い食堂に入り、ターリー(定食)を注文。12ルピー(30円くらい)なのに、驚くほど美味しかった。
 時間はたっぷりあるので、インドで初めて映画館へ行く。インド映画ではなく「007」しか上映していなかったのは残念だったが、ヒンドゥー語の吹き替え版だったので、それなりに楽しめた。それにしても、インドでインド人に交じって、洋画を観るというのは、妙な感覚だった。
 夕方になり、歩くのにも疲れたので駅へ戻る。ベンチに座って3時間くらい、何もしなかったし、何も起こらなかったが、平気だった。精神的にも肉体的(長時間座っていても、お尻がしびれなくなった)にも、「待つ」という行為に、随分と慣れたみたいだ。

南インド料理
南インド料理
第19回 カラングートの犬                 2012. 4.20

 アフマダバードから南へ約500km、インド最大の都市ムンバイへ。朝に到着したのに、南下しているせいか、蒸し暑い。ローカル線に乗り換え、しばらくすると車内の匂いが日本の電車と似ている事に気付く。周りにはサラリーマン風の人が多く、どことなく元気がなく、疲れている。変な所で、日本を思い出してしまった。
 ムンバイ・セントラル駅に着くと、マクドナルドを発見。久々の日本食のつもりでセットを注文。フライドポテトが日本と全く同じ味だったので恐くなったが、それでもやっぱり日本を思い出してしまった。
 ここ最近、早足で移動してきたのは、次のゴアというリゾート地でのんびりするためだ。ゴア行バスの受付が20社ほど並んでいて、その中で一番信用できそうな所を選ぶ。受付の人に頼んだら、簡単に料金をまけてくれた。その人の目が綺麗だったので、重い荷物は全部預けて、ムンバイの町を散歩した。インドに来た当初には考えられない行動だ。でも、信じることができる人と、できない人との区別くらいはつくようになってきたと思う。
 出発時刻になり、乗り場へ行くと裕福そうな人ばかりが乗車していた。先程の受付の人が近寄ってきて「他の客にあんたの料金のことだけは言わないでくれ」と耳打ちしてきた。やはりここはインドだった。

タージマハール
タージマハール
第20回 ここはインド                   2012. 5.20

 ムンバイから南へ約550km、ゴア州のマプサに朝6時半到着。ローカルバスに乗り換え、アラビア海に面したビーチを目指す。ビーチはいくつかあるのだが、カラングートビーチという、比較的インド人観光客が多いという所へと向かった。
 宿が見つからない。満室の所がほとんどで、あとは汚くて狭い割には値段の高い部屋しか残っていない。どうやら今の時期が、この地方の観光シーズンらしい。
 宿を探すことに疲れ、道をとぼとぼ歩いていると、日本語の看板が掲げられたカフェを見つけた。そこは、インド人と結婚した日本人のSさんが経営しているお店で、頼んでみると近所の宿を紹介してくれた。一泊250ルピー(約700円)という後にも先にもないほど高額だったが、部屋は僕にはもったいないくらい、広くて綺麗だった。こうなったらリゾート気分を満喫しようと決めた。
 Sさんにお礼を言った後で、浜辺を歩いてみた。恋人たちや家族連れが、思い思いに海を楽しんでいて、とても幸せそうだった。ああしまった、こういう場所に1人で来るべきではないということに、今になってやっと気がついた。
 砂浜に腰を降ろす。海からの風が心地よく、ゆったりとした時が流れていく。犬がどこからかやってきて、僕の隣にちょこんと座り、一緒に海を眺めてくれた。

ラジギール
ラジギール
第21回 時間は平等に進む                 2012. 6.20

 これまでの町と比べて、ゴアは穏やかな環境だったので居心地がよく、1週間ほど滞在した。そして、ほぼ毎日、例のSさんのカフェに通った。それはお店のサンドイッチとコーヒーが、インドでは味わえない美味しさだったせいもあるが、何よりSさんの人柄が素敵だったので、話をするために通っていたような気もする。
 時計を持ち歩いていなかったので、気がつくと何時間も雑談していた日もあった。そうこうしている内に、月が替わり、とうとう12月になっていた。僕はSさんとカラングートビーチに別れを告げ、東に約400kmほどバスに乗り、ハンピという町へと向かった。
 インドで出会った人から、田舎でのんびりした町だと紹介され、訪れてみたのだが、残念ながら全体的に観光客ズレしているような印象を受けた。とは言っても、大きな岩がそこら中にゴロゴロ転がっている珍しい地形の町だったので、岩の上に寝転がって昼寝をしてみたり、岩だけで出来ているような山に登ったりした。また、この町の夕焼けが素晴らしく、西の方角だけでなく、空一面が真っ赤に染まる見事なものだった。
 どこか別の世界に来たような所ではあったが、さすがに散歩と夕焼け観賞だけでは退屈してしまい、早々とこの町を出ることにした。結局のところ、どの町に行こうが、それ位しかすることはないのだけれど。

ヘビつかい
ヘビつかい
第22回 理想郷                      2012. 7.20

 ハンピから南へ約400km、「インドのガーデンシティ」とか「インドのシリコンバレー」と呼ばれる都市、バンガロールにやってきた。ここが目的地という訳ではなく、バスを乗り換え、約150km北にあるプッタパルティへと向かう。
 この町のプラシャーンティ・ニラヤム(至高の平安の住まいという意味らしい)にサイババがいるというので、一目見に来たのだった。とりあえず、施設内にある宿泊場所を確保する。50cmくらいの間隔でベッドが並んでいる大部屋だったが、一泊30円くらいなので文句は言えない。
 サイババが(法話をするために?)登場するという広場へ行く。熱心な信者に紛れていると、ミーハーな気持ちだけでここに居る僕は、何だか申し訳なくなってきた。サイババはトヨタの車に乗って現れた。助手席から手を振っている彼は、いつかテレビで見た印象と異なり、老人だった。聞くところによると、最近腰の骨を折ったために歩けなくて、歳は80になるらしい。
 サイババに守られたこの場所は、食料も日用品も全てが安く、ゴミも落ちてないし、物乞いもいない。でも一歩外に出れば、当たり前だがインドの日常がある。ユートピアは快適だったが、居心地は良くなかった。
 至高の平安の住まいに2泊して、僕は現実へと戻った。

ニューデリー
ニューデリー
第23回 百聞は一食に如かず                2012. 8.20

 プッタパルティからバンガロールを経由して、インド最南端のカンニャクマリまで、全長約800kmのバスの旅。インドに来てから、3ヵ月が経とうとしていた。岬から海を眺める。とうとうこんな所まで来てしまったのだ、という実感が湧いてきた。
 程好い充実感に浸りつつ、何か甘い物でも食べようと、キャラメルを食べた。あっ、と思った時には遅かった。インドで銀歯が外れるとは。日本でも行くのをためらうのに、インドで歯医者に行くのは、さすがに恐い。本気で痛み出したら、予定を早めて帰国するか、勇気を振り絞ってインドの歯医者に行こう。
 歯のことは一先ず忘れて、この町では4日間ほどゆっくり過ごした。その間に、この先に行く場所を考えたり、日本に手紙を書いたり、南インド料理を満喫したりした。
 北インドの定食は「ターリー」だが、南インドでは「ミールス」に変わる。このミールスがとてつもなく美味しい。日本のインド料理屋のカレーは大体が北インド風なので、日本でミールスを味わうことは至難の業ですが、大阪市福島区にある「亜州食堂チョウク」というお店で食べることが出来ます。初めてここのミールスを食べた時、日本でこの味と再会できたことが嬉しくて少し泣きました。ちなみに値段は850円で、手で食べると50円引きです。

ヴァラナシ
ヴァラナシ
第24回 2006年12月                    2012. 9.20

 15日、カンニャクマリを出発。ナガコイル経由で、マドゥライへ向かう(約250km)。バスの車窓からの、どこまでも続く田園風景が日本のそれと重なる。うとうとして、寝ぼけた頭で眺めると、今自分がどこにいるのか分からなくなった。
 マドゥライにはミーナークシ寺院があって、妹尾河童『河童が覗いたインド』でも紹介されており、実物をこの目で見たくてやってきた。東西南北に建てられている、鮮やかな色の彫刻が施されたゴープラム(門)が見事だった。遠近感覚を揺さぶられる存在感。
 16日、マドゥライからビルプラム経由でポンディシェリへ(約300km)。やはりこの道中も、田んぼや農村の風景が心に残る。昨日もそうだったが、バスの乗り換えの際、見知らぬインド人が尋ねてもいないのに、丁寧に案内してくれる。有難い。また南インドでは「アーユーアメリカン?」とよく聞かれる。この辺りには、日本人があまり来ないのだろうか。外国人=アメリカ人という発想で、微笑ましい。
 17日、ポンディシェリを散策。フランスの植民地だった地域らしく、街並みにその名残がある。夕暮れ時の海岸に着く。幸せそうな家族が記念写真を撮っている。なぜか儚い感じがして、僕は悲しくなった。
 18日、ポンディシェリからマハーバリプラムへと向かった(約100km)。

ソニバット
ソニバット
第25回 寒くないクリスマス                2012.10.20

 マハーバリプラムは、インド南部のタミルナードゥ州にある町で、かつては港湾都市だった所らしい。居心地が良かったので、一週間ほど滞在した。
 ある日、お金の両替をしていると、Sさんという初老の日本人の方と出会った。Sさんは普段、タイで開業されている東洋医学のお医者さんで、なぜか僕のことを気に入って下さり、体の管理の仕方とか、ためになることを色々と教えてもらった。
 Sさんがたまたまこの町で抜歯をしたらしく、信頼できそうな歯医者だったようなので、先日外れてしまった銀歯を付け直しに行くことにした。臆病な僕はそれでも不安だったが、治療が終わってみると、なんてことはなかった。悩みなんて大体はそんなもんか。
 この地域では魔除け(?)のために、毎朝家の前の地面に絵を描く風習があるみたいで、一日限りの絵を毎日眺めるのを楽しみにしていたのだが、ある朝いつものように絵を見ると「X´mas」と書き添えられていた。忘れていた訳ではないけれど、この町では日本のように過剰なクリスマスムードにはなっていなかったので、このささやかな一言で、ようやくクリスマス気分になることができた。
 せっかくなので、ケーキ屋へ行き、小さいケーキをひとつ買い、そのまま道端で食べた。そんなに美味しくはなかった。

大林さんのインド旅行2012春
第26回 アートマ・ヴィチャーラ             2012.11.20

 マハーバリプラムを離れ、Sさんにお勧めされたティルバナマライという町にある、ラマナマハリシ・アシュラムへ。ラマナマハリシはインドの聖人で、彼の住んでいた場所が、現在、信奉者の集まるアシュラムへ発展しているらしい。後日、インド人にどこを旅してきたのかと尋ねられ、ここの名前を出したら、笑顔で握手された。
 ガイドブックには載っていないので、インド人の書いてくれたメモだけを頼りにバスで移動した。乗り換えの際にも、英語での表記がない。旅を始めた当初なら不安だったと思うが、旅に慣れてきた身にとっては丁度良い刺激だった。
 アシュラムに到着し、泊まれる所を探す。係の人に聞くと、ここは予約をして来るべき所らしい。運良く部屋が空いていたが、後に予約が入っているため、3日間だけ宿泊することになった。短い間だったけれど、信奉者に交じって瞑想をしていると、悟りに近づくために修行しているような気分になれた。
 すぐに3日間は過ぎ、再びバスに乗り、南インドの大都市チェンナイへ。隣席のインド人と話していたら、彼が日本の原爆が投下された日付を知っていて驚いた。インドの片田舎に、僕の国の歴史を知っている人がいる。ごめんなさい、僕はあなたの国のことを何も知らないのに、こうして旅をしています。

タージマハール アグラ
タージマハール アグラ
第27回 2006年〜2007年                 2012.12.15

 チェンナイから列車に乗り、この旅最長の約1200qを一気に移動する。目的地のプリーに到着したのは、大晦日の夜だった。小さな町だが、年越しムードで騒がしかった。宿を探すも、どこも満室。仕方ないのでガイドブックを頼りに、今まで避けてきた日本人宿へと向かう。あいにくここも満室だったが、物置として使われている、ジブリ作品に出てきそうな階段下の小さな部屋に泊まれることになった。ここの宿には日本人が15人ほど泊まっていて、中には完全に沈没(旅行の本来の目的である観光を中断し、一つの街への滞在を目的としてしまうこと)している人もいた。
 ある満月の夜、一人で夜道を歩いていたら、10匹くらいの野犬に囲まれた。インドは狂犬病の犠牲者が世界で最も多い国なので、噛まれでもしたらと考えると、この状況はなかなかの危機である。僕は奇声を上げながら走り抜けた。幸い、追いかけてくる犬はいなかった。話しても分からない相手ほど恐いものはない。
 10日間ほど滞在していたが、特にすることもないので、タブラ(インドの太鼓)を習ってみた。難しいところで「できない」と僕が言うと「できない、と思うからできないのだ」と先生は怒った。いつか聞いたような話(フリーエッセイK参照)だが、できないことがある時、僕はこの言葉を思い出す。

タージマハール
タージマハール
第28回 憧れの地                    2013. 1.20

 プリーで仲良くなったTさんと、ヒンドゥー教の聖地バラナシへ。旅行記等を読んで憧れていた、僕にとってのインドがこの町だったので、ようやく辿り着いたという感じ。ごちゃごちゃした街や入り組んで埃っぽい路地裏、ガンジス川のガート(岸辺から階段になって河水に没している堤)で、沐浴している人々、あちこちから聞こえてくるお祈りの声や音楽。そういう街全体の雰囲気が想像以上に素晴らしかった。
 僕が泊まった宿は、一泊180円で雑魚寝をするシステム。しばらく風邪を引いてしまい、部屋の奥で大人しくしていたら、宿に居座っている重鎮だと勘違いされ、宿泊しに来た日本人がいちいち挨拶をしてくる羽目になった。こういう日本っぽさをインドで味わいたくない。
 バラナシには3週間ほど滞在し、Tさんと大体一緒に行動した。僕が先にここを離れることになり、お別れをした後、駅で列車を待っていたら財布を忘れてきたことに気づいた。小銭しか入っていなかったので、どうしようかと思っていたら、Tさんが息を切らせ、笑顔で持って来てくれた。財布が戻ってきたことよりも、Tさんがわざわざ30分かけて届けてくれたことが嬉しかった。
 1年後、僕はTさんとベトナムで再会した。インドで出会った人の中で、もう一度会えたのは、今のところTさんだけだ。

ガンジス川
ガンジス川
第29回 ただいま                    2013. 2.20

 朝方、少し冷えたニューデリーに到着。これでインドをぐるっと一周してきたことになる。しかし、本当にここがデリーなのか。歩いたはずの道、見たはずの景色、皆が悪人に思えたインド人がまるで違って見える。どれほど僕は脅えていたのだろう。全く違う町に来たみたいだ。
 少し強くなれた気がして誇らしかったけれど、ドキドキ感を失ってしまった自分が寂しかった。何も知らない初めての町と対面する時の、あの何とも言えないワクワクする気持ち。それをまた感じたくて、僕はこれからも旅をするのだろう。でもそれは、2度と味わえない気持ちだとも思う。
 帰国するまでの数日間は、もう少し名残惜しい気持ちになりたかったが、最後までインドはインドだった。その意味は、インドに行けば分かると思います。
 さて、5ヵ月ぶりの日本。真冬の2月に軽装でサンダル履きという僕は、ここでは完全に異質な存在のようだ。何はともあれ、退屈で平和な国に無事帰ってくることができた。


ニューデリーのインド門

 これで私が担当するフリーエッセイは終了です。読んで下さった方々、ありがとうございました。また今月いっぱいで、きかんし協会を退職することになりました。2年8ヵ月という短い間でしたが、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

 きかんし協会
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